2021-9-29 電車のなか

当たり前みたいに始まる毎日を当たり前じゃないと言うのは皮肉だ。僕は若くて、ほとんどのことを知らないけれど、毎日が酷く悪意に満ちたものだってことはなんとなく理解してるし、でもきっとそこに美しさが眠るんだね。温室で作られた野菜は柔らかいみたいな、つまらないことだけ言っててください。柔らかいと硬いのはなにが違うのか分からないから、悲しくなってくる。

日記みたいに書こうと思う。誰の目も気にしなくて、本当のことだけ書きたいよ。今僕は電車に乗っていて、景色が後ろにいくから季節みたいだと思う。ここでシャボン玉をしたらかなり迷惑だろうな。シャボン玉は疲れたみんなを暗示するみたいに虹色に濁って破裂する。虹色って濁りなんだ。

大昔、虹は畏れの対象だったらしい。そりゃあそうだと肩の力が抜ける。虹が美しい時代に生まれたことはきっと幸運なのだろう。今の時代は多分そんなに悪くなくて、だけど苦しい気持ちを抱くことは間違ってない気がする。平穏と苦しさは共存するし、それどころか平穏につく影みたいなものだとも思う。影は太陽の位置だったり宿主の大きさだったりいろんな要因で形を変えるから、なんか仕方ないんだよ。

僕たちの今日が少しでも鈍いものであればいい。それかとっても鋭いものであればいい。空は秋を主張するみたいに晴れてるけれど、明後日台風がくるらしい。他人事みたいな感染者数と明後日に来る台風は、水平線を想起させて大きなため息に音楽が混ざる。

そろそろ目的地につくらしいから、日記はここで終わろうかな。読んでくれてありがとう。きみにとっての今日が、少しでも過ごしやすい1日になるといい。